剑三隐刀:水稲の栽培方法からみた農家のあり方: SHOちゃん徒然日記
2009年4月28日 (火曜日)
水稲の栽培方法からみた農家のあり方
1.慣行農法
農耕の言葉どおり土地を耕し、化学肥料、農薬、除草剤を使用する方法。
篤農家といわれる人ほど何度も耕し、草を除く。
欠点は、微生物の循環を無視し、土地を栽培場として捉えているので、微生物が減少し、地力が落ち、科学肥料に頼らないと栽培できなくなる。
また、石油資源を大量に使い、コスト高となる。
2.有機農法
これは農水省が化学肥料に替えて有機肥料を使う農法を有機農法と定めただけである。
消費者は有機=安心 と思っているようだが、大間違い。
家畜の糞尿に何が含まれているか知らないし、知らせてない。
農水省は糞尿の分析を表示するよう指導すべきだが、それができないのが現実なのだ。
養鶏農家は糞の処理に困り、安価で田んぼに撒いてくれる。農家も急騰した化学肥料よりコスト安になるので利用しているが、糞の分析はやっていない。
ホルモンが入っていても国が有機農産物とみてくれ、消費者も高くても買う。国が安全を保障している訳ではない。
3.自然農法
愛媛県伊予市の故 福岡正信氏が実践した農法。
「藁一本の革命」他 著書多数。特に海外で有名。
全てを自然に任せる。おこぼれを人がいただく。
中曽根総理と故 草柳氏が対談した折、「総理は福岡さんをご存知ですか?」と質問し、「知らん」と総理が言った。
「福岡さんはインドではガンジー並みの扱いをされ、多くの国から賞を頂いているかたです」と補足したそうだ。
あの時、総理が関心を持たれていれば、今の日本の環境は世界が羨む状態になっていたでせう。
自然農法の欠点は機械化できないこと。
自分のくいぶちを確保するだけならOKだが、消費者のぶんまで栽培するのは労働力がかかり、現実的ではない。
しかし、自然相手の農家にとって自然農法は基本である。
天候や害虫に強い米を作るバイブルである。
4.不耕起農法
自然農法の欠点をカバーすべく田澤氏 が18年かけて確立し
田植え機、コンバインを使用する。
耕さないので、農耕とはいわない。篤農家からみれば堕農とみられる。
田植え直後に家庭不和が発生するのが欠点。
部落から除け者にされる恐れあり。しかし、数年かけ微生物の循環が始まると周囲の見る目が変ってくる農法。
スタートは、昔の農法に帰る発想から始まった。
冷害でことごとく被害をうけた稲のなかで、小さな田んぼが生き生きと育っていた。そこは、跡継ぎがなく、自分の食い扶持だけお年寄りが昔ながらの方法で育てた稲だった。機械もなく、早くから田んぼに水を張り、5葉の苗を手植えしていた。
●苗を強く太く育てる。
慣行農法は20日の乳苗を植えるが、昔は50日の5葉の苗を植えていた。5葉の苗で20cmの高さに育てる。これが一番難しい。
●エコ
慣行農法は耕起するので稲藁などが土中に入り腐敗するときメタンガスを出す。ガス抜きのため途中で中干しを行うのです。ガスはCO2の10~30倍地球温暖化に影響を与える。
慣行農法をしながら「田んぼは自然を守る」スローガンは嘘になってしまいます。 (酸化と還元)
不耕起は稲刈りの後、田んぼに水を張るので、藁は水のなかで腐敗し、ガスをださない。だから温暖化をくい止める地球に優しい農法なのです。
▼欠点
JAのカントリーを利用できない。
カントリーの利用条件は、種子をJAから毎年購入すること、栽培履歴、JAが設計した栽培方法で作ること、が定められております。
農薬、化学肥料を使わないため種子はJAの消毒されたものを不耕起では使いません。したがって、カントリーの利用ができません。自分で乾燥、精米、保管をやり、販売も自分ですることとなります。
背景には、不耕起だと肥料、農薬が売れなくなるので、JAの収益が減ることになります。
不耕起が肥料、農薬のコスト減から農家の収益増になってもJAの売上減を優先しているのかと憶測したくなります。
JAは農家のためにあるのですが、片一方で農水省からの複雑な縛りがあり、手足を縛られているので、自由に動けないのです。外国からの輸入に高い関税をかけて日本農業を守っている。そのうえ、様々な補助金が国から出ており、逆らえない状況に置かれています。
国もガット以降、要らない米を外国から買わなければならず、農水省の担当者にしてみれば、外国から輸入した米はカビ?農薬など不安なものが多く、捨てるわけに行かず、かといって、そのまま流通させるわけにもいかず、厄介な仕事である。そういう状況下でカビ米問題が起きたのは必然というか、時間の問題であったろうと思う。
新聞の投書欄に農家側は、「農家に任せたらどうか」、「休耕地を元に戻すは数年かかる。その場しのぎの農政はやめて欲しい」などの意見が多く寄せられています。
お互い、歩み寄り、将来を見据えた農政を根本から見直す必要がある